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プラムを描くのに緑と青を使うの?(絵のお稽古2回目)

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 宝物はいくつか持っているけれど、とりわけ大切にしているのがファーバー・カステル社の72色入り色鉛筆セットだ。二十歳の時、チューリッヒの文具店で衝動買いした。当時の日本円で一万円くらいしたと思う。なぜ買おうと思ったのかは覚えていない。とにかく買うしかなかったのだと思う。タオルやら服やらでくるんでスーツケースに入れ、宝石箱のように大事に日本に持ち帰ったのだが、その後はたまに取り出して眺めては楽しい気分になるというだけで、実際に使う機会はあまりなかった。  その色鉛筆セットを、初めて本格的に使う日がやってきた。絵のお稽古の二回目である。 前回 は黒一色で芍薬の花を描いたが、いよいよ色使いを習うのだ。意気込んで先生のお宅へと伺った。  描くのは赤いプラムを四つ、白いお皿に並べたものである。先生に「プラムの何を描きたいですか?」と聞かれ、とても困った。「プラムを描きたいけれど、プラムの何を描きたいのかは自分でもわからない」という状態だったからだ。困りながらつらつらプラムを眺めていると、その表面に、黄色と赤が思ったよりダイナミックに入り交じっているのに気づき、黄色が「不安」に、赤が「怒り」のように感じられた。そこで、「プラムの苦悩を描きたいです」と答えた。先生は面食らわれたかもしれない。  イーゼルに紙をセットし、「では描いて下さい」ということになったが、手も足も出ない。そもそも白い紙に白いお皿を、何色の鉛筆で描いたらいいのかわからない。固まっている私を見て先生は、 ・全ての色は赤、青、黄の組み合わせで作ることができる ということを説明してくださり、72色では多すぎるので、今日はその中から10本だけ使いましょう、と色をピックアップしてくださった。赤が2本、オレンジ、黄色が2本、緑、青が2本、紫、黄土色である。「これしかない」となると妙に腹が据わり、とりあえず黄土色でお皿の輪郭を、赤でプラムの輪郭を取ることができた。  いよいよ色を塗る。色鉛筆の中央をつかんで横にすべらすように塗ると、プラムの質感に合う、ということも教わった。「プラムの苦悩」をテーマにしていた私は、できるだけ忠実に表面の模様を再現しようと、赤いところ、黄色いところ、その上に朱が小さなうずまきのような模様を作っているところ、という感じで塗っていった。フレアとかプロミネンスとか、子供のころ図鑑でみた太陽のカラー写真...

マティス展に行ってきた(絵のお稽古番外編)

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  東京都美術館で開かれているマティス展に行ってきた。啓蒙的で見応えがあった。マティスという人が、次々に絵画手法を取り入れて実験するタイプだったことがよくわかる。セザンヌ風の自画像に始まり、点描画をやってみて、フォーヴィズムに行きつき、その後キュビズムも取り入れて、穏やかな画風に戻って、晩年は切り絵をやったり建築をやったり…。画家としてのスタートが遅かった分、貪欲に知識や技術を吸収しようとしたんだろう。でも、最初から最後まで、窓や椅子や画中画など、こだわりのモチーフは変わらなかったということもわかった。楽しくて勉強になる展覧会だった。  そして何より、自分の絵の見方が変わったことに気づいたのが収穫だった。私は先月から絵を習い始め、 初回のおけいこ では黒い鉛筆で芍薬の花を描いたのだが、たったその一回の経験だけで、マティスの木炭画や鉛筆画(?)が全然違って見えた。例えばバイオリンの絵の、バイオリンの縁のところを、なぜより濃くしなければならないのかがわかる。木々と家々の風景画も、なぜその線にしなければならないのかがわかる。「あー!わかるわかる!」ともうそればっかりで、嬉しかった。  絵を見るには、絵を描くのが一番いいみたいだ。今回そう思ったのは白黒の作品だけだったので、もし展覧会に来る前に、色を使って描くレッスンを受けていたら、カラフルな作品がもっとわかったんだろうな、と思ってちょっと残念だった。  マティスが彫刻を作っていたのも頷ける気がした。人体を実際に三次元で作ってみた方が、二次元の絵画にする時にやりやすいんじゃないかな、と思った。前回の絵のレッスンで、実際には描かなくても芍薬の葉っぱの裏側や付け根を見た方が、格段に描きやすかったからだ。  それにしても、マティスはずいぶんと中東からインスピレーションを得ている。1910年の5月にミュンヘンで開催されたMeisterwerke Muhammedanischer Kunst (ムハンマド美術の傑作)という展覧会にも行ったが、これは約250の国際コレクションから約3600点もの品が出品された、イスラーム美術の展覧会としてはかつてない規模のものだったそうだ。マティスはこれに刺激を受けたらしい。  その前後にアルジェリアやモロッコにも旅行して、オリエントの絨毯とかも集めていた。そういう目で見てみると、画面に登場する...

生まれて初めて、絵を習った話(絵のお稽古1回目)

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  生まれて初めて、絵を習った。高校の美術科目ではいつもC評価だった私が、絵が描けるようになるのだろうか?わくわくしながら先生のお宅に伺った。  さて、今日のテーマは、  ・腕を動かす  ・形をつかむ  ・色の濃淡をとらえる  ということだった。咲き始めの芍薬の花を2本、ガラスの花瓶に生けたものを、イーゼル上の大きな紙に、黒い鉛筆でスケッチしていく。  まず、腕を動かす、ということ。机の上に置いた小さな紙に何かを描くというのではなく、イーゼル上、つまり縦におかれた紙に、鉛筆の胴体部分をつかんで、腕を大きく上下に動かしながら描いてみよう、ということである。やってみると、どこからどこへ腕を動かすとどういう線になるのかが、わかるようでわからない。最初はかなり緊張した。  次に形をつかむ。重要なのは「花瓶とテーブルの接地面、花瓶の高さ、花(ボール状の芍薬の花二つ)」であり、葉っぱは付け足しなのだという。そこが面食らった。植物に関して私は葉っぱが好きな性質なので、「え?葉っぱは付け足しなの」と思った。全体の形を作る際に、最も重要なアイテムを瞬時に見抜く必要があるのかな。ということは、画家は風景を見る時、頭の中で色々と捨象しているんだろうか、などと考えた。  花瓶と茎、花の形を描いた後に、おもむろに葉っぱを描く。葉っぱが好きな私は葉っぱをきれいに描いてやろうと意気込んだが、これが難しい。芍薬の葉っぱには自然のうねりがあって、そこに光があたったり、上の葉っぱの影があったりして濃淡が生まれる。先生は、「とりあえず、一番明るいところ、わりと明るいところ、わりと暗いところ、一番暗いところと、四種類に分けて、一番暗いところを一番濃く塗ってください」とおっしゃったのだが、はっきりと線で分かれているわけではないし、簡単ではなかった。  重なっている部分は、下の部分をとりわけ濃くすることで、上の部分は描かなくても自動的に形が浮かび上がってくる。隣の部分と比較して、どちらがより暗いか、どちらかより明るいか、ということを絶えず考える…「絵画は相対性」ということを学んだ。  途中休憩しつつ、2時間半くらいだっただろうか。人生でもうこんなにも「物の形を真剣に見る」経験はなかったと思う。面白かったのは、葉っぱが茎からどう出ているか、自分の位置から見えなければ、立ち上がって裏にまわり、確認するのだ...

アルジェリア映画「The Repentant」(2012)

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  ちょうど十日ほど前(2021年9月17日)、アルジェリアのブーテフリカ前大統領が84歳で死去したというニュースがあった。どんな報道でも、大体において彼の政治を「1990年代のアルジェリア内戦からの治安回復をはかるため、過激派の投降を促し、国民の融和を進め…」という感じで総括していた。この映画はその「過激派の投降を促し」という、文字にしてたった9文字でまとめられてしまう内容が、実際にはどれほどの人々の苦悩や波乱を含んでいるかということを表現した作品である。  1990年代にアルジェリアで始まった政府・軍とイスラーム主義者の反政府勢力との内戦は、多くの死者、行方不明者を出し、「暗黒の十年」とも呼ばれる時代をもたらした。犠牲者数は10万人から20万人とも言われている。ブーテフリカ前大統領は、1999年に「市民融和法」を、2005年に「国民和解憲章」を成立させ、反政府武装組織の戦闘員の投降と武装解除を進めたのだが、この映画はそのうち前者が背景となっていると考えられる。  武装組織のメンバーだった青年ラシードは、拠点となっていた山岳地帯を降り、村に帰ってくる。両親は歓迎してくれたものの、村人の中に、ラシードのせいで家族が虐殺されたという者がいて(ラシードは自分は無実だと主張するのだが、聞いてもらえない)、村にはいられない。法律に従って町の警察に出頭し、武器を納めたラシードは、警察署長のはからいで町のカフェのウェイターの仕事をもらい、カフェに寝泊まりしながら仕事を覚えていく。  しかしながら、カフェのオーナーは、戦闘員だったラシードを見下しているし、警察署長も、「お前のファイルは俺が握っている。お前のこれからの人生は俺次第だ」と言って、ラシードにスパイ行為を強要してくる。人間はそんなに簡単に「過去を消せる」ものではないのだ。  と、ここまでは、「こういう状況のラシードがどうやって、新しい人生に踏み出していくのかを描く作品なのかな」と思って見ていたのだが、ここで突然、何の脈絡もなく、薬剤師のラフダルという人物が出てくる。一人暮らしのラフダルは夜な夜な秘密営業の酒屋で買ったワインをがぶ飲みし、中国語の衛星放送(CCTV4)を見ながら寝てしまうという、精神的に荒れた生活を送っている。一体ラシードとどう関係するのか、最初は全くわからない。謎は後半にかけて少しずつ明らかになっ...

リビア映画「Freedom Fields」(2018)

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  「Freedom Fields」は、リビア人の父とイギリス人の母をもつ女性監督、ナズィーハ・アレービーが、革命(カッザーフィー政権崩壊)後にリビアで誕生した女子サッカーナショナルチームの顛末を描くドキュメンタリーだ。プロデューサーや編集も女性が手がけている。彼女たちの意気込みが伝わってくる作品だ。  映画は特に3人の選手に焦点をあてながら、革命の1年後から5年後までの出来事を追っていく。エンジニアで現実主義者のファドワー、医学の勉強をして情熱的なハリーマ、そしてタワルガからの国内避難民のナーマ。バックグラウンドもサッカーへの考え方も三者三様の彼女たちを通して、革命後のリビアにおける女性の状況を描き出す。  革命後、リビア各地から女子サッカー選手が集められ、ナショナルチームが作られたところまでは良かったが、ここで彼女たちに対する猛攻撃が起こる。「足を出してプレイするとは何事だ」「女にサッカーを許したら他のスポーツも許すはめになるぞ」ということだ。イスラーム主義者の過激派組織からは脅迫状が届き、ネットでも大バッシングにさらされるようになる。サッカー連盟の決断は?何としても国際試合をしたい彼女たちはどうするのか…?  中東における女子選手を描いたドキュメンタリーだと、「 イラン女子サッカー奮闘記 」(2008)や、アラブだと、パレスチナの女子カーレーサーを描いた「 スピード・シスターズ 」(2015)があるが(どちらも非常に優れたドキュメンタリーだ)、女性が抱える困難という面では、それらと共通する部分もある。前半でハリーマがつぶやくセリフがそれを象徴している。「(女性は)生まれて、成長して、結婚する。ただそれだけ。それが人生。もしそれを全部やらないと、それは『間違っている』っていうことなの。ママは私がプレーすることに反対はしていないけれど、やめるべきだって思ってる。私は結婚するべきだって。私は来年までに結婚しなきゃならないのよ…」 この結婚への圧力を裏付けるかのように、しばしば、夜の街で華やかなドレスがライトアップされた洋品店の様子が映し出される。闇の中にきらめくスパンコールが無言で何かを語りかけている。  こうした状況の中で、彼女たちのフラストレーションが高まらないはずがない。なぜ男性は国を代表することができて、私たちにはそれが許されていないのか。なぜ男性が...

レバノン映画「Where To? 」(1957)

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  今や世界的に活躍する映画監督を輩出する レバノンだが、その地で制作された最初の映画が移民に関するものだったということはあまり知られていないかもしれない。 イタリア人のジョルダーノ・ピドゥッティ監督が1929年に制作した「エリアス・マブルークの冒険」、アメリカに長期滞在して帰国した移民を描いたサイレントコメディだった。この作品以来、海外移住や、移民とその帰還は、レバノン映画でしばしば扱われるテーマとなった。  今回見た ジョージ・ナセル監督の「 Where To?」もこの流れの中に位置する作品だった。レバノンの貧しい農村に生きるキリスト教徒の農民ハミードは、妻の制止をふりきって単身ブラジルに移住する。より良い暮らしを求めての決断だったが、その後 ハミードからは故郷に何の便りも(もちろん送金も)ない。 残された妻は、二人の息子、サイードとファリードを抱え、必死で生き抜く。いつしか20年の歳月が過ぎてゆき…。  アメリカで映画を学び、レバノンに帰国した監督の長編第一作ということで、全体的に素朴な作りで、静かな哀しみに胸を浸される映画だった。ブラジルへのレバノン移民というと、カルロス・ゴーン氏のことが思い出されるが、移住によって出世したり成功したりする人ばかりでなく、失敗した人もいただろうし、また、単身で移住した男性の背後には、故郷で辛酸をなめる家族がいたことを、改めて考えさせてくれる。  映画は国内ではほとんど上映されなかったらしいが、国際映画祭では評判が良かったようだ。結婚式のシーンなど、レバノンの伝統的なダンス(ダブケかな?)や剣舞がふんだんに盛り込まれていて、映像としても貴重だと感じた。今回、MUBIであと5日…という所で見つけて滑り込みで視聴できたのだが、いやはや、本当にありがたいことだった。 アラビア語の原題も「どこへ?」      

チュニジア映画「Dear Son」(2018)

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(ネタバレ注意:前半までの重要な部分を含みます)   先日見たチュニジア映画「Hedi」 のムハンマド・べン・アティーア監督の長編第二作。これも親子関係がテーマの作品だ。  退職間近のチュニス港のフォークリフト作業員、リヤードと、教師の妻ナズリ。最近心配しているのは、一人息子の19歳のサーミーが、バカロレア試験を目前に、ひどい偏頭痛に悩まされ、嘔吐し、時に失神するようになっていることだ。  ジャスミン革命後のチュニジア。暮らし向きが楽ではないなか、リヤードは息子の問題を解決しようとあらゆる努力をする。カウンセリングに連れて行って、サーミーは少し調子が良くなったかに見えたが、ある朝突然いなくなってしまう。リヤードが驚いたことに、彼の行き先はシリアだった。果たしてリヤードは息子を取り戻せるのか…?  凄いなと思ったのは、サーミーの行き先について、失踪以前に何のヒントも描かれないということだ。何しろ行き先が行き先なので、普通ならモスクに出入りするとか、過激な仲間ができるとか、何らか示唆する行動があるはずなのに、それが全くない。(サーミー自身の嗜好としてわかるのは、部屋にベルギーのヒップホップ・ミュージシャンのストロマエのポスターが貼ってあることくらいだ) つまりこの映画は、チュニジアの若者のIS行きの背景を、モスクとか過激な説教師の存在といったありがちなストーリーでは語らず、徹底して家庭のひずみとして描いているのだ。  リヤードは暴力的でも抑圧的でもない。たぶん誰が見ても「良い」親、息子を溺愛している親である。しかし息子に、自分では全く気づかずにプレッシャーをかけている。この「無自覚」というのが一つのキーワードだ。ただ働き、金を稼ぎ、結婚することを目標にすればよかったリヤードの世代と、より抽象的で、100%理想的な「生きる意味」を見つけなければならない息子の世代では、心に抱えているものが全く違う。子どもが嘔吐したり失神したりするのは、体を使って親にSOSを発しているのだが、リヤードにはそれが理解できなかった。  ラストシーンが、最初は「???」という感じだったのだけれど、見終わってつらつら考えているうちに、すごくリアルなラストだと思えてきた。リヤード役のムハンマド・ズリーフの名演技が光るとともに、彼の女性の同僚を演じたイーマーン・シャリーフも魅力的。カンヌ国際映画祭で上映...