生まれて初めて、絵を習った話(絵のお稽古1回目)

  生まれて初めて、絵を習った。高校の美術科目ではいつもC評価だった私が、絵が描けるようになるのだろうか?わくわくしながら先生のお宅に伺った。

 さて、今日のテーマは、

 ・腕を動かす

 ・形をつかむ

 ・色の濃淡をとらえる

 ということだった。咲き始めの芍薬の花を2本、ガラスの花瓶に生けたものを、イーゼル上の大きな紙に、黒い鉛筆でスケッチしていく。

 まず、腕を動かす、ということ。机の上に置いた小さな紙に何かを描くというのではなく、イーゼル上、つまり縦におかれた紙に、鉛筆の胴体部分をつかんで、腕を大きく上下に動かしながら描いてみよう、ということである。やってみると、どこからどこへ腕を動かすとどういう線になるのかが、わかるようでわからない。最初はかなり緊張した。

 次に形をつかむ。重要なのは「花瓶とテーブルの接地面、花瓶の高さ、花(ボール状の芍薬の花二つ)」であり、葉っぱは付け足しなのだという。そこが面食らった。植物に関して私は葉っぱが好きな性質なので、「え?葉っぱは付け足しなの」と思った。全体の形を作る際に、最も重要なアイテムを瞬時に見抜く必要があるのかな。ということは、画家は風景を見る時、頭の中で色々と捨象しているんだろうか、などと考えた。

 花瓶と茎、花の形を描いた後に、おもむろに葉っぱを描く。葉っぱが好きな私は葉っぱをきれいに描いてやろうと意気込んだが、これが難しい。芍薬の葉っぱには自然のうねりがあって、そこに光があたったり、上の葉っぱの影があったりして濃淡が生まれる。先生は、「とりあえず、一番明るいところ、わりと明るいところ、わりと暗いところ、一番暗いところと、四種類に分けて、一番暗いところを一番濃く塗ってください」とおっしゃったのだが、はっきりと線で分かれているわけではないし、簡単ではなかった。

 重なっている部分は、下の部分をとりわけ濃くすることで、上の部分は描かなくても自動的に形が浮かび上がってくる。隣の部分と比較して、どちらがより暗いか、どちらかより明るいか、ということを絶えず考える…「絵画は相対性」ということを学んだ。

 途中休憩しつつ、2時間半くらいだっただろうか。人生でもうこんなにも「物の形を真剣に見る」経験はなかったと思う。面白かったのは、葉っぱが茎からどう出ているか、自分の位置から見えなければ、立ち上がって裏にまわり、確認するのだが、別にその部分は描かないのに、確認すると何だか葉っぱ自体が描きやすくなるのだ。何故なのか、今もよくわからない。

 お稽古が終わって街に出てみると、何だか世界が違ってみえる気がした。どう違うか、というのはまだうまく言い表せないのだが、世界と自分の関係性が変わった、という感じかもしれない。これを描く時はどうすればいいのかな、と考える自分がいる。それから、目が見えていることがありがたい、と思った。できるだけ長く、目が見えていたいなあと。

 次回のお稽古では、果物を色鉛筆で描く。これがまた大変らしい。新しい発見がありますように。先生、ありがとうございました。










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