レバノン映画「Out of Life」(1991)
レバノン映画史を語る上ではずせない、マールーン・バグダーティー監督の最重要作品。見終わってから、「無防備都市/ベイルートからの証言」というタイトルのもと、日本でVHSが販売されていることを知った。
1987年、レバノン内戦のさなか、実際にヒズブッラーに誘拐されたフランス人フォト・ジャーナリストのロジェ・オークの体験を元にした映画である。
レバノン内戦の様子を取材していたフランス人フォト・ジャーナリストのパトリックは、ある日シーア派武装組織に誘拐されてしまう。アジトに監禁された彼の精神状態の変化と、監視役の戦闘員たちとの会話を通して、レバノン内戦の特徴や、それをとりまく大きな構造を解き明かそうとする。戦争映画だが、いわゆる「ヒーローもの」では全くない。
アジトは街の建物の中にまぎれこんでいるため、周囲では昼間は子どもたちが普通にたこあげやサッカーをして遊んでいる。誘拐されたパトリックにとっては地獄の苦しみ、すなわち「彼の戦争」が進行しているのに、外の世界からはそれが全くわからない。声を上げることも許されないし、声を上げたとしても、誰にも気づいてもらえないのだ。
パトリックと戦闘員との会話で明らかにされるのが、レバノンとフランスの圧倒的な非対称性だ。戦闘員たちは人質のパトリックに対してフランス語を話すが、これ自体が、植民地支配の証である。貧しいレバノンの村出身の戦闘員にとってはフランスはあこがれの国であり、フランス人であるパトリックはその国籍だけで特権階級の人間なのだ。
「名前をつける」というのもこの作品のテーマの一つだ。パトリックは戦闘員に対して「フランケンシュタイン」「フィリップ」などの名前をつけていくが、逆に自分が戦闘員から「ナウーム」というアラブ名を与えられると、断固拒否をする。
後に戦闘員が、ベイルートの通りの名前は「ジャンヌ・ダルク通り」だの「クレマンソー通り」だの、フランス風の名前が多い、と言う。これもかつて植民地支配の名残である。結局のところ、「名前をつける」とは「支配する」ことの現れなのだ。だからこそパトリックはアラブ名を拒否したのだろう。
また別の戦闘員は「俺は最初は共産主義者と、その後はPLOと、次は民兵組織アマルと一緒に戦って…」という。味方する勢力はどんどん変わるけれど、戦争は全く変わらない、と。いったん内戦が始まると、人々は主義主張より「戦うこと」そのものを維持する方にとらわれてしまうのかもしれない。その結果がおびただしい数の犠牲者であることは言うまでもない。アジトの室内シーンがメインの展開だが、要所要所で戦闘で破壊された街並みや、ひたすら続く墓地の様子が流されて、内戦の戦禍の大きさに呆然としてしまう。
と、このようにレバノン内戦を遠景やらクローズアップやら色々な角度で捉えようとした作品だが、それだけでなく、人間が「見る」ことの意味を問おうとしている感じもして面白かった。誘拐される前は勇猛果敢に戦闘の中に入っていき、バシャバシャ写真を撮っていたパトリックが、誘拐後は戦闘員がいる場所では目隠しをされる。その瞬間からパトリックにとって「見る」ことは特別な行為となる。「見る」とはそもそも優位者に付随する行為なんだなあと、改めて思わされた。

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