レバノン映画「Ghadi」(2013)
この映画は日本でも一度だけ映画祭で上映されたことがあるらしい。レバノンのキリスト教徒(マロン派)の小さな街で、障害をもった男の子ガディーが人々から排除されそうになる。父親は息子を守ろうと、「息子は天使だ」と言い、街の人を信じさせようとする。やがてイスラームにおける聖者崇敬のような感じで、街の人が願掛けをするようになり…。
父親が、これから生まれてくる我が子に障害があることを知り、恩師に相談するシーンが心に残った。恩師は、「彼は神の恵みだから、生まれてくる権利がある。今すぐ名前をつけなさい。そうすれば彼は存在するようになる。名前とともに彼は人となり、いったん人となれば彼を消し去ることはできなくなる」と言う。当たり前のことなのだけれど、改めて「存在の大もとは名前にある」と聞いて、『旧約聖書』の天地創造シーンを思い出してしまった。
でも少しもやもやした気持ちも残る。ガディーの父親が、街の人々の願掛けに対応できる資産と実行力があったから良かったようなものの、もし何もできない父親だったら結局ガディーは排除されてしまうのか?ガディーがガディーであるだけでは受け入れてもらえないのか?そういった父親の実力も込みで、ガディーがこの世に生まれてきた役割だ、ということなんだろうか?
その問題は消化できなかったけれど、コミュニティの人々が、それぞれ小さな願いをもっていて、それは周囲の人間が丁寧に聞いて動いてあげれば結構かなうことなんだ、というのは面白い。人に手を差し伸べることの大切さ。窮地に陥った父親を助けるのが、街の中でも二級市民扱いされていた人たちだったというのも、「良きサマリア人」っぽいなと思った。

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